前回は、マクドナルド日本誘致に尽力した藤田田氏の「ユダヤの商法」を紹介しました。
今回は、比較的以前(2007年)に日本語訳が出版された書籍ですが、「成功はゴミ箱の中に レイ・クロック自伝」の要点をピックアップしていきます。
当書籍と、藤田田氏の近年の復刊書籍は、「時代を経ても色あせない」様々な教訓を含んでいるように感じます。
また、当書籍に収録された、ユニクロの柳井正氏とソフトバンクの孫正義氏の対談、解説も、2007年の発刊から12年経ち、今もユニクロ・ソフトバンクが成長し続けているところから、「時代の流れを経て生き残っているからこその説得力」も有しているといえるでしょう。
それでは「成功はゴミ箱の中に レイ・クロック自伝」の要点をピックアップしていきましょう。
まず、解説の部分を主体にお話ししていきましょう。
人生に始めることで遅すぎるということはない
まず、レイ・クロックがマクドナルドの事業に取り組んだのは52歳から。
本書では、
私はビジネスの戦争で負傷を負った古参兵のようだったが、第一線に立ちたくてうずうずしていた。 私は五二歳だった。ビジネスに身体を酷使し、糖尿病と関節炎を患い、胆嚢のすべてと、甲状腺の大半を失っていた。だが、生涯で最高のビジネスが私の行く先に待ち受けていると信じて疑わなかった。私は未熟で、成長の途中にあり、空を飛行しているような心持ちで人生を歩んでいた。
と、年齢も高齢(当時としては)、さらに糖尿病。関節炎・胆嚢摘出・甲状腺の大半を失う・・このうようなボロボロの体でありながら、「生涯で最高のビジネス」として、ハンバーガービジネスに取り組み、途中、マクドナルド兄弟の裏切りもありながらも、マクドナルドを世界最大のハンバーガービジネスに押し上げたのです。
では、ここから、ユニクロ柳井氏の解説で、興味深い部分をピックアップします。
レイ・クロックはマクドナルドを大きくするために事業に取り組み、現在のような全世界的チェーンをつくり上げたのです。五二歳からの遅いスタートでしたが、彼は大きな成功を収めることができました。
私がレイ・クロックと彼の仕事のやり方を知ったのは故郷に戻り、父親のつくった衣料品店で働いている頃でした。中年を過ぎてから起業に挑んだクロックこそアメリカのベンチャー経営者だと感心し、以後、マクドナルドのチェーン化戦略を研究
とあり、山口県の宇部という地方、そしてWebの発達した現在であればともかく、様々な意味で東京と地方に情報較差があった時代に、レイ・クロックを知り、マクドナルドのチェーン化戦略を研究したのです。
また、前回「ユダヤの商法」を紹介した藤田田氏についても、
日本マクドナルド創業者、藤田田さんも私の憧れの経営者です。藤田さんの著作はほとんど読んでいます。後には縁もあり、お目にかかることができました。私は藤田さんからも多くのことを学べたと感謝しています。
と述べておられます。
藤田田氏がユダヤの商法を出版した当時は、様々な意味で、賛否両論を呼ぶ内容だったといえましょう。その中で柳井氏は、「書籍より学んだ」と率直に書いておられます。
この他にも、「成功はゴミ箱の中に レイ・クロック自伝」は、本編もさることながら、導入部・後書きが面白いのです。
12年という時を経て答え合わせをすると、柳井氏・孫氏の考えや、レイ・クロック氏の根底にあるもの、そして、現在複数の課題はあれど、ワールドワイド・日本法人共々、ハンバーガービジネスで今でも頂点にいるマクドナルドを見るにつけ、当書籍が時代を経ても色あせない教訓を有していることがうかがえます。
それでは、あとがきの方に入っていきましょう。
まず、ソフトバンクの孫正義氏、ユニクロの柳井正氏ともに、マスコミから様々な意味で注目され、時にバッシング的な記事も出てきます。
バッシングなどの否定的な記事に対し、孫氏は、
最近はそうは思わない。民主社会にはメディアという社会的システムがあるのだと納得することにしたんです。メディアが間違いを犯そうとする個人あるいは会社に対して警鐘を鳴らすのは社会的システムなんです。自分が叩かれることはつらいけれど、もし、そうしたシステムがないと社会が大きな危機を迎えてしまう。非難に対しては自分自身が強くなっていくしかない。
ボクサーがリングに上がって闘うと、つまずいたり、膝をついたりするでしょう。ダウンすることだってある。そうするとあのボクサーはダメだとか練習が足りないとか、もうボロクソですよ。まして、試合に負けたボクサーをよくやったと讃える人間なんかひとりもいない。でも、ボクサーにとって試合を観てくれた人はファンなんです。試合を観てくれただけで、ボクサーはありがたいと思わなきゃいけない。
と、ある種客観的な視点から見ています。
次に、よく言及される日本マクドナルドの祖、藤田田氏についても、
藤田さんは日本を代表するベンチャー企業家ですし、また、ユダヤ的経営を知っている企業家でした。あの頃、日本ではユダヤ的経営について批判的な意見がたくさんあったと思うんです。それなのに藤田さんは堂々と「ユダヤ商法のすばらしさ」を語っていた。勇気のある経営者でした。ですからお願いしました。
と、今でこそ「ユダヤの商法」という考え方が見直される中、当時ユダヤの商法をポジティブな文脈で語るというのは、相当な手法への信頼・自信、そして実績がないと能わないことでしょう。
また、ベンチャー企業、ベンチャー起業家に対する柳井氏の考えも。
僕はベンチャー経営者に会いたいと思ったことはありません。なぜなら俗に言うベンチャー経営者の九九% はいい加減ですし、金銭感覚のズレた人もいる……。本当の意味のベンチャー企業家なんてほんの少しだけですよ。 僕自身もベンチャー企業家と言われるより小売業の経営者と呼ばれたい。小売業のなかでしっかりした会社だと評価されたい。僕らの仕事は日々、売り場に立って、一生懸命に売ることです。毎日が闘いといっていい。
これに関しては、柳井氏の基準が極めて高い故の意見で、99%というのはどうかとは思いますが、「売場に立ち、一生懸命売ること」という言葉は非常に重いです。
対してインターネットの世界は狩猟民族的なところがある。ある日、突然、パソコン一台を肩から提げてきた若者が業界を席巻することもありうるのです。だから、私としては常にフィールドを眺めてチャンスの芽を探しておかなくてはならない。チャンスを見つけたら素早く飛びかかって事業にする。レーダーで探査していないと、一瞬のうちに抜き去られてしまう業界です。
これなどは、まさに「チャンスの神様には前髪しかない」という言葉と極めて近しいと言えましょう。
チャンスの芽には素早くかかり、事業にする。We Workでいろいろと問題があったことは例外にしても、Yahoo!、米スプリント、アリババへの出資(+売却)などの事業買収・出資については、見事なスピードで飛びかかり、ものにしています。
アウトサイダーであるから、結果としてうまくいった
柳井氏、孫氏だけでなく、藤田田氏、レイ・クロック氏、全て異業種・他地域など、本流から外れたところや畑違いのところから参入したアウトサイダーです。
もうひとつの共通点はアウトサイダーだということ。孫さんと僕だけでなく、レイ・クロックも藤田さんもアウトサイダーから出てきた人間です。レイ・クロックはセールスマンだったし、藤田さんはダイヤモンドやハンドバッグの輸入商でしょう。どちらもハンバーガーの玄人じゃない。僕だって銀座や青山でファッションビジネスを始めたわけじゃない。山口県の宇部なんて炭鉱があるだけで、とてもファッションの中心とは呼べない。孫さんだって徒手空拳でIT業界に乗り込んだ。みんなアウトサイダーから出発し、常にアウトサイダーとして既存の業界に挑戦している。
多くの場合、アウトサイダーは、ライバル企業に様々な意味で目をつけられ、潰しにかかられます。
ユニクロにしても、昔は、おばちゃんが出てくるベタなCMで返品・交換を訴求するも、21世紀にはスタイリッシュなCMにシフト、一方チラシは泥臭く、わかりやすくという感じで、マスへの訴求方法を使い分けています。
また、最近はユニクロとばれるのはかっこ悪いという「ユニバレ」という言葉もつかわれにくくなりました。
ソフトバンクも、ソフトウェアの流通、PC関係の出版社から、日本テレコム、ボーダフォンなどの通信会社の買収も行い、現在の地位にまで上り詰めました。
驚くことに、レイ・クロックがファストフードのハンバーガーチェーンを構想したのは五二歳のときでした。日本のビジネスマンなら定年後のことを考える年齢です。私はこのときの彼の姿にアメリカの資本主義を感じてしまう。いくつになっても成功を目指し、起業をためらわないというのがアメリカンドリームを信じる男の姿なんです。
孫氏、柳井氏とも52歳よりずっと前から頭角を現していますが、「いくつになっても」というところに関しては、2人とも、まだまだ走り続けるでしょう。
レイ・クロックは一目見た途端、マクドナルドを全米チェーンにしようと構想したわけです。何とも楽天的な人だなと思ってしまう。 ここで見過ごせないのは彼が飲食業のプロではなかったことです。アウトサイダーとしての客観的な目で事業の将来性を見抜いた。それが彼の才能ともいえる。
プロでないから、かえって変な先入観や曇りの目がない、というのはおおきいといえましょう。
そんなレイ・クロックは私にとって恩人といえる……。彼が残した「Be daring(勇気を持って)、Be first(誰よりも先に)、Be different(人と違ったことをする)」という言葉は商売の神髄を表すものだと思いました。初めて読んだとき、手帳に書いて、何度も何度も眺めたくらい。
「Be daring(勇気を持って)、Be first(誰よりも先に)、Be different(人と違ったことをする)」、これは簡単なようで難しい。
特に、diffentは・・。
それから、細部から入るという部分も興味深いです。
「完全なシステムを初めから考えつく人もいるが、私はそのような全体構想パターンでは考えず、まず細部を十分に検討し、完成させてから全体像に取り掛かった。私にとってはこちらのほうがはるかに柔軟性に富んだアプローチだったのだ」 「私は細部を重視する。事業の成功を目指すならば、ビジネスにおけるすべての基本を遂行しなくてはいけない」
この後もまだ、引用したい部分が多くありますので、後ほど新規記事を追加します。