在宅・テレワークオンリーの環境は、人間の引き出しを圧倒的に狭くする

1月から現在も続くコロナ禍で、今でも在宅業務・テレワークオンリーという状態が続いている人も少なくないだろう。

 

特に都市部では、テレワークを継続している会社もまだ相当数あると推測する。

 

だが、実際にテレワーク(リモートワーク)だけで業務を進めるということは、やはり経営者・管理者としては、「重しをつけられながら走らされる感覚」「社員教育で細かなニュアンスが伝わらない」など、悩み・課題を感じる人も相当数いるのではないか。

 

また、中堅・若手社員も、悩みや課題をどのようにして上司などに伝えるか、もっというと「自身の問題・課題を明確にし、文章化し伝える」という課題に直面している人も少なくないと思う。

 

上の側としても、業務遂行・教育・理念浸透においては、特に、若手社員とのコミュニケーションに悩む人もいるだろう。

 

当然、トップ・ミドル層と新入社員では、時代のバックグラウンドも、コミュニケーションの手法も、言葉の行間を読むということも、あらゆる面で異なってくる。

 

これは、経営層と若年層の時代背景・教育環境など様々な点が異なるので、致し方ない点もあると言える。

 

ただ、現代は、あらゆるコミュニケーションに対して、センシティブになっている側面があるように思われる。

 

過去であれば「指導の一環」として違和感なく通じたものが、現代では「パワハラ」扱いになる時代である。

 

テレワークにおいても、原則、コミュニケーションは文章で残される。

 

テレカンファレンスなどでも、会話が録音される機能を持つものは多いため、部下に指導をするときは、よほど言葉を選ばないと、パワハラと取られてしまう可能性さえある。

 

パワハラ・セクハラなどは、「受けた相手がどう感じたか」が起点となるため、いくら管理職側が相手のことを思って指導しても、若手が「これはおかしい!」と言い出せばセクハラになるのだ。

 

こうして、管理職の側も、若手の育成が極めて難しいものになる。

 

やはりテレワークオンリーでは、業務も滞るし、人材育成もできないという理由で、出社や部分出社に切り替えている会社の話も少なからず聞く。

 

この半年を超える半強制ステイホーム状態は、テレワークが「やればできる」ということを強制的に実現させた反面、「テレワークには限界がある」という事も少なからぬ人に体感させたものであったと思う。

 

加えて、テレワークというのは、通常にオフィスに通うより、満員電車の負担などが減る良い面もある。

 

怖いのは、在宅・テレワークの状態、ステイホームの状態が長く続くと、会社員であれば職場でのコミュニケーションに加え、通勤の帰りに、町歩きをしたり、ちょっと買物をするということが圧倒的に減ることだ。

 

些細なことに見えるが、これが人を社会不適合にしかねない。

 

直接対面して話をするというリアルなコミュニケーションをできるのは、家族などごく一部に限られる。

 

そして、コミュニケーションはネットを通したものにシフトする。

 

もちろん、地域を問わず、様々な層とコミュニケーションを取れるメリットはある一方、少なからずいる、ネットを使って良からぬ事を企む輩もおり、そういう手合いに容易に騙されてしまうことだ。

 

1990年代後半や2000年代前半は、まだネットを活用できる人が比較的限られた、混沌の時期であった。

 

当時からネットに触れていた人は、Webの情報は玉石混淆であり、ネットを通した人との関わりも、やはりある程度の注意をしながら行っていた人が多いように思う。

 

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23区の外れの6畳1Rで、在宅業務・テレワークをするという孤独

特に若手の場合、よほど待遇の良い企業でない限りは、住宅などは限られ、家賃の安価な、首都圏であれば職場にアクセスの良い、23区の外れで在宅業務をする事になっているだろう。

 

勤務時間中は、PCの前で黙々と仕事をして、会議はZOOMなどWeb会議、飲み会もWeb飲み会。

 

そこには、東京カレンダーのような華やかな都市生活というのは存在しない。

 

外出は、食事の買い出しや、気分転換の近所の散歩などが関の山で、他者とのコミュニケーションの幅は相当狭まるであろう。

 

6畳1間の1Rでずっと一人で働き続けて、ストレスがたまらない人はいるであろうか。

 

もちろん、これが地方・田舎であっても、コミュニケーションの範囲が狭まることに変わりはない。

 

学生で部活やサークルなどに加入していた人や、現在スタートアップに勤務し、まさに寝食を忘れ働いている人などは、同じ場で、みんなで努力し、同じ釜の飯を食うという経験から、「チームとしての一体感」を体感した経験がある人も少なくないかと思う。

 

現在VRデバイスやチャット・テレカンファレンスなどのツールはあれど、同じ場で一つの目標に邁進するという一体感というのは、その場に身を置かないと無理だ。

 

Webは空気感、ほんとうに繊細な事を伝えられるものではない。

 

まだ、テレワークオンリーという環境で、担当者のように家事や子育てなど、他者との生身のコミュニケーションができる環境があればいい。

 

しかし、他者と直接接する機会がなかったり、極端に限られる環境になると、様々な意味でのインプットが減り、相手を察するということが難しくなるケースもある。

 

その点で、いろいろな場へ行ったり、話したり、見たりするということは一見無駄に見えて、けしてそうではないのである。

 

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場に行く、ということの楽しみと大切さ

 

例えば、先日Webで話題になったややすもと醤油さんへお邪魔した記事を書いたときは、店先にクロネコの大型トラックが2台止まり、社員の人は製造と出荷に大わらわで、混乱しつつも、活気がみなぎっていた。

 

クロネコのスタッフの人たちが、何があったのかと店内で商品を見て買っていく様子など、Webではなかなか見えない空気感というのを体感した。

 

また、まだ問題なく仕事以外でも地方と都市の行き来ができた時に、東京滞在時に、よく山手線の駅の周りを終電後や早朝に散歩したり、時には深夜の国際線ターミナルを散歩することもあった。

 

飲み屋街の祭りの後のような感覚、国際線ターミナルのイスで寝転ぶバックパッカー、品川の奥まった地域にある、閑静な美術館など、「場に赴くからこそ感じ取れる空気」、また街を歩きながら見る商業・流行の変遷など、様々な「場の記憶」が、ステイホームの現代ではすっぽり抜け落ちてしまうのである。

 

場に行けないとなると、ソースはネットやごく近い近所だけ、となってしまう。

 

また、人々が普通に出社し、状況に応じてテレワークをしたり、旅行・食事を楽しめるようになるまで、どれくらいの時間がかかるのか。

 

また、新型コロナウイルスの鎮圧と共に、人がまた外に自由に出歩ける空気が戻るのは、いつになるのだろうか。

 

人間が在宅・テレワークに完全に最適化されてしまう前に、事態の改善を祈るばかりである。

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